2011年5月22日日曜日

β版の文化理解を目指そう!

前回、ローカリゼーションがより重要になっていると書きました。が、それは、必ずしもローカリゼーションを実施する必要性が高まっていると直接的に語っているわけではありません。正確にいうと、ローカリゼーションという観点で市場と商品の間にある距離を測定することなしに、ローカリゼーションをするかしないかの判断をしてはいけない・・・というのがぼくの意見です。そして、ローカリゼーションは市場での成功を保証するものではなく、失点を減らして市場で大きな敗退することを避けるためと考えるのが妥当です。オリンピックなら表彰台に立つこと。F1なら得点すること。サッカーW杯ならリーグ戦を勝ち抜いてトーナメント線に辿りつく。期待学でいうなら「期待通り」。こういうレベルです。

同じ食器というジャンルでも、日本のものを海外に紹介する場合、和食のための食器、洋食のための食器、それぞれにおいてローカリゼーションの判断は違います。当然ながら、西洋の料理を西洋という場で使う食器は、サイズも含めローカライズは必須でしょうー創作料理系での例外はありますがー。和食の食器の場合は、パリのサン・ジェルマンの店ではローカライズすることで価値を失う。だが、同じパリでもデパートのプランタンなら若干のローカライズがビジネス上必要、というさまざまなパターンがあります。

プタンタンのケースを更に広げる次のような例がでてきます。ローカライズすることで、よりグローバル市場に出ることもあり、その一例が中国人が作る寿司です。世界の70%の寿司店は日本人以外によって経営され、おおむね、日本人には好評でなくても、現地の人に受けいられています。

どこにターゲットをおくかで、議論の中身が変わってきます。

さて、冒頭に戻り、ローカリゼーションを語る意味をもう少し述べましょう。ぼくが強調しているのは、ローカリゼーションという視点をもって異文化市場を観察してみようということです。それぞれのプロダクトーサービスも含みますーへのローカリゼーションの期待度をみると、市場の文化傾向が「大雑把」に分かります。自分のモノサシして「大雑把」でよいのです。自分のモノサシがないより、なんとマシなことか!モノサシの精度を問う前に自分のモノサシを手にせよ、ということです。精度は人工知能のように使っているうちにあがります。そのために、まず、やるべきことがあります。各々の製品の文化を自分で整理してみることです。歯ブラシ、ティッシュペーパー、食品ラップ、洗濯機、クルマ、スマートフォン・・・・片っ端から、それぞれの傾向を考えてみるのです。

外国語を学ぶのに、日本語でも興味のないテーマの本を読むより、まず関心のある本に集中すべしといわれます。クルマが好きな人は、クルマを通じて米国、ドイツ、フランス、イタリア、スウェーデンの文化をとうとうと語ります。サッカーの好きな人は、ブラジル、アルゼンチン、スペイン、ドイツ、英国、フランス、イタリア・・・カメルーン!とそれぞれの差異を語ります。発想の起点は、ここにあります。食品ラップは同じ技術をもとに作られ、かなり似たようなフィルムですが、やはり違う。ただもっと印象的なのは、イタリアと日本の大きな違いはフィルムそのものより、カッターの切れ味です。日本のカッターはピシッと切れます。刀のような包丁と西洋料理のナイフー家庭用の話しです。プロの料理人は日本の包丁をもっていることも多いーの切れ味の違いが、サランラップのカッターにも通じているわけです。

以上のような目的を先において、まず製品の文化あるいは世界観をおさえていく。これが最初のステップです。クルマとはどういう文化をもっているのか。サッカーとはどういうスポーツなのか。サッカーと空手は何が違うのか。

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