2011年5月21日土曜日

ローカリゼーションが重要になったのは?(安西洋之)

山崎さん、安藤さんにお誘いをうけ、このUXD Initiative に参加することになりました安西洋之です。ビジネスプランナーを名乗り、ミラノに住みながら日本との間を行き来しています。このプロジェクトで、ぼくの担当は、文化、ビジネス、ローカリゼーション。どうして、こういう組み合わせなのか、少々ご説明しましょう。

ヨーロッパ企業のブランド戦略を見れば分かるように、ビジネスと文化は密接にリンクしています。生産国そのものの歴史や風土あるいはライフスタイルがブランドの背景にあります。このように文化はビジネス活動の質と利益をあげるために有効であるにも関わらず、日本の企業の動向として「文化は利益に貢献しないお荷物」のような見方を相変わらずしている現象をみます。ビジネスと文化が乖離しているのです。そして、文化を使うとなると、非常に偏った日本文化を取り上げー静的な日本ー、本来、フィットしない大量生産の機能型製品のコンセプトのコアにまで持ち込みます。文化はトッピングで使うという基本を踏まえていません。

一方、文化理解という側面では、文化人類学が第二次世界大戦時に大きく発展しー米国は敵国・日本の文化的分析を行ったが、日本は英語学習さえ禁止された!-、戦後、米国ではビジネス活動に文化人類学を応用しましたが、日本企業においては、つい最近のビジネスエスノグラフィーに至る前まで、あまり積極的ではありませんでした。しかし、文化理解がある理由でビジネス上、必須アイテムになってきています。

ある理由とは、1990年代以降の情報革命が引き起こした情況変化です。それによるローカリゼーションのポジションの変化。ローカリゼーションの対象とは、言語、法適合、人間工学、経営の現地化という側面が強かったのが、1990年代以前です。しかし、’90年代以降、インターネットと電子デバイスの普及により、ユーザーインターフェースによって提示される情報が瞬時に確実に理解できるかどうかが、重要なテーマとして躍り出てきたのです。カーナビの画面にある情報が即、理解できないと人を殺すかもしれない!文化理解は悠長な長期的な課題ではなくなりました。人間工学ーユーザーの平均身長に椅子のサイズを合わせるーにプラスして、認知科学の側面でのローカリゼーションに注目しなければいけないようになったのです。

そして、「人は外見ではなく中身だよね」という台詞が、モノにも適用されるようになりました。黒いボックスの中にあるソフトウェアの質が問われ、ONにならないとウンともスンとも言わない凡庸なボックスも、中身の良さ、特にスマートであればあるほど人を惹きつけるようになったのです。そうすると、逆に、如何にスポーティなクルマであろうと、搭載されているナビのユーザーインターフェースが「アホ!」というロジックから成り立っていると、カタチも「アホ!」に見える心象風景の変化も生みはじめました。

即ち、市場のユーザーの「頭の中」を知らないと、製品が機能しなくなる可能性が高まったのです。「頭の中」とはロジックです。そして、ユーザーが機器を使用するコンテクストが、ロジックのありかを左右します。こうした経緯で文化理解の重みがでてきました。ただ、文化理解というと、アカデミックな静的文化を思う浮かべる人も多いですが、ここで言っている文化理解は「日常世界のロジックを理解する」と同義です。

以上で、ローカリゼーションをどう考えるかの入り口に立ちました。

*1:日経ビジネスオンラインの連載、「ローカリゼーションマップ」の初回と最終回をお読みいただけると、今までの説明がさらによく分かります。また、現在の連載、「新ローカリゼーションマップ」でローカリゼーション事例を隔週でアップデイトしています。

*2:フェイスブックページ「#lmap ローカリゼーションマップ」は、関連事項の情報を紹介しています。

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