来月、この研究会でぼくの関わっている七味オイルの開発ストーリーをワークショップの素材に使うことになりました。そこで3年ほど前に書いた以下の文章を、やや長いですが、ここに掲載しておきます。研究会の告知は追って行います。
<ここから>
2008年7月下旬、私たちは長野の善光寺を散歩しました。既に日は落ちかかり、人も少ない、門前の商店も閉まっている。そんな時刻です。八幡屋礒五郎社長の室賀さんが、歩きながら39ある宿坊とその仕組みを説明してくれます。デル・ポンテ社長のアレキサンダーは20年もの昔、一人で半年ほど日本の各地を旅して回った自分の若き姿を遠くに見つめ、卍が寺を意味することを13歳の娘に教えます。同時に、都内の昔ながらの家に下宿し、日本人以外の付き合いを遮断しながら、冷える畳に正座してひたすら日本の哲学の本を読んだ日々を思い出します。
室賀さんは善光寺の次に、参勤交代時に大名が宿泊したという元旅館に案内してくれました。道に面したファサードは大正時代のアール・デコ様式です。奥には数寄屋造りの和室があります。ここでイタリア・フランス・日本の各料理がミックスした懐石料理を頂きました。西洋と日本の美味が実に自然に表現されています。
異文化交流が料理の世界ではスタンダードであることを今更ながらに再認識しました。マネージャーは、フランスのリヨンでコックとして働き、東京のヌーヴェル・キュイジーヌのレストランに長くいた方です。「フランス料理では20年も前から日本の蕎麦を試してきた」「私自身もオリーブオイルには七味唐辛子が合うと思い、2-3年前、自分で調合して試したことがある」というマネージャーの話しを聞きながら、今回の七味オイルのプロジェクトが料理の世界の文脈にしっかりと嵌っていることを私は確信しました。
アレキサンダーとの出会い
私がアレキサンダー・フォン・エルポンスと出会ったのは、1993年冬です。彼はミュンヘン大学で哲学と日本学を勉強していたのですが母親が逝去。トスカーナの丘にある大きな邸宅と広い農園を遺産として継ぎました。ある日、彼と私の共通の友人から、その頃住んでいたトリノの自宅で一本の電話を受け取りました。
「学究肌のドイツ人がオリーブ農園を持っているんだけど、日本文化に関心が強く、オリーブオイルを使ったビジネスで日本と関係を築いていきたいと言うんだ。一度、会って話を聞いてくれないか?」
これが全てのはじまりでした。彼はお洒落なギフトボックスのデザイン作業を開始していました。ベルギーの大学でも法学部の学生だった彼に、グラフィックデザインの才能がこれほどにあるとは想像していなかった私は、驚きました。そして、香はまろやかで味は柔らかくなめらかでありキリッとしています。「この味とセンスなら日本にも紹介できる」と考え、日本のインポーターを開拓していきました。
彼はどう育ったのか?
時をさらに遡りましょう。幼少の頃よりネクタイにジャケットで自宅の夕食の席につく環境で育ち、イエズス会の厳しい教育の高校生活を終えたアレキサンダーは外交官の道を望み、ルーヴァンカトリック大学では法学部へ進みます。しかしながら、教養課程で哲学に触れた彼は、法律に魅力を感じなくなっていきます。
母親に「法学部を卒業すればあとは何を勉強しても良い」と言われた彼は、法学部に在籍しながらハイデッガーとニーチェの勉強を進めます。そこでハイデッガーと交流のあった九鬼周造に興味を抱き、『「いき」の構造』に出会います。禅の思想にも関心を持ち、ルーヴァンカトリック大学の教授に、ミュンヘン大学の日本学の教授を紹介されました。ドイツ人の父親とベルギー人の母親の間に生まれた彼は、スイスで生まれベルギーで育ったのですが、ここでまったく新しい文化と遭遇したわけです。
日本学を勉強しはじめ、彼の生き方に変化が生じます。合理的でスピードがすべてという効率主義に疑問を抱きはじめたのです。きっかけは漢字の学習です。ここで効率以外の価値があることを見出したのです。アルファベットからすれば複雑な形状の漢字は、覚えるにも書くにも時間を要します。しかし、表現された漢字は沢山の意味を同時に伝えることが可能です。
大きな驚きがここにありました。より広い構図からものを考える拠点を見出したと言ってよいでしょう。また漢字にある象形文字が、牛、馬、草、竹など農業に関係のあることに気づき、日常の生活からものを考える世界にも惹かれていきます。漢字を上手く書くために、左利きから右利きに変えました。
多様で多種の異文化との出会い
異文化との出会いが彼を変えたのは、日本だけではありません。イタリアもそうです。87年、それまでも頻繁にトスカーナを訪れていた彼の母親が、高級保養地として名高いモンテカティーニに別荘を購入しました。イタリアの有名なTVジャーナリストの所有だった邸宅です。それまで以上に、ここを訪れるようになった彼は、イタリアのライフスタイルにあるプラグマティズムを知るようになります。
フランスやプロイセンで貴族の称号を得ていた家系は、15世紀のイタリアのデル・ポンテ家に源流があります。5世紀以上の時を経て、彼は自分の血にもともとあったイタリア文化を発見したのです。そうなると、自分探しのための哲学がなんとなく色あせて見えてきます。アレキサンダーが哲学の試験勉強をしているとき、92年に結婚するベルギー人のファビエンヌが、オリーブの収穫を一人で仕切ることもありました。こうした姿も、書籍から学ぶことが中心だった彼の人生観を大きく変えていったのです。グルグルと回転しながら進む彼の思考が、じょじょに直線的になっていきました。
それから、自分で何でも作るようになります。オリーブオイルのギフトボックスのデザイン(七味オイルのボックスもそうです)、後述する20トン近い大理石を使った和式露天風呂、林の中に飼っている豚から作る生ハム。これらは彼の「自作」のほんの一例です。子供の頃、ベルギーのお祖父さんの別荘で働く職人たちの仕事を熱心に眺めていた彼らしい成果です。
しかし、とても慎重な男であることは変わりません。「自分が知っていることは分かっているけれど、知らないことは知らない」と言い、1999年、トスカーナに家族を残してブリュッセル自由大学でMBAを取りました。ビジネスの世界のことも、本で事前に分かることは全て分かっていた方が良いと考えたのでしょう。当然のことながら、オリーブオイルの味に対しても同様です。彼はトスカーナのオリーブオイルの質をテスティングする資格を所有していますが、この資格も仕事の合間を縫いながら研修に通って取得しました。
日本とのビジネスも軌道にのってきた頃、ある会社から、「オリーブオイルの質は問わないから」ペペロンチーノやハーブを入れたオリーブオイルを作ってくれないかとのオファーが寄せられました。アレキサンダーは、こう語りました。
「オリーブオイルの質が生きてこそ、デル・ポンテの製品と言える。そのようなリクエストをする会社は真面目とは思えないから、取引したくない」
そのとき、彼はエキストラヴァージンに何か別のものを入れることに否定的であったわけではありません。ペペロンチーノのオイルは昔からあり、それに批判的であったわけでもありません。しかも、日本の何らかの味との融合に関心はあったのです。しかし、その相手が何であればいいか、その具体的なアイデアはもっていませんでした。ただ、何か新しいコンセプトの商品への意欲は常にありました。
七味オイルのアイデアの誕生
長野県上田市にあるギフト商品会社を経営する石森さんとのおつきあいは10年近くになります。2007年の2月、石森さんから「日本で三大七味唐辛子の一つと言われる善光寺の八幡屋礒五郎さんの七味とオリーブオイルのコラボ商品を企画してみませんか?」と提案がありました。私は、瞬時にこれは面白いと思い、アレキサンダーに伝えました。
彼からも「是非、挑戦してみたい」との即答を得られました。彼は七味唐辛子がどんなものか知っていました。そして、ミックスさせるものが日本の伝統調味料であることにも大きな魅力を感じました。早速、石森さんが試験的に作ったサンプルをテスティングし、「イタリアのペペロンチーノにはない奥深い味だ。しかも、デル・ポンテのエキストラヴァージンオイルの味と香りが十分に生きている!」とアレキサンダーは感嘆します。
ドイツと日本の哲学、イタリア文化、これらが統合され最後の刺激材料だけを待っていた状態だったのかもしれません。280年余続いてきた老舗七味唐辛子と地中海の典型的な調味料であるオリーブオイルの融合、七味オイルというコラボ商品の開発は、こうしてスタートを切りました。
モンテカティーニはフィレンツェの西北にあたり車で1時間程度の街です。この街の背後に広がる山の中にアレキサンダーの邸宅と農園があります。ここに7-8人はゆったりと入れる和風露天風呂があります。洗い場もあり、和式の桶など日本から取り寄せました。アレキサンダーとファビエンヌが新婚旅行で日本の温泉地巡りをした思い出が、そのままあります。二人で日本のイメージを思い起こしながら、イタリアの建材を使って作りあげました。
湯の中に体を沈めると水面のはるか向こうには修道院が見えます。しかし、湯は日本を感じさせてくれます。2007年11月、八幡屋礒五郎の室賀さん、石森さん、アレキサンダー、そして私の4人で一緒にこの風呂に入りました。七味オイルのビジネスプランついて思い思いに語り合ったのですが、この和と洋の空気の調合具合が話をとてもスムーズなものにしてくれました。
「和洋折衷」という言葉は、今や若干古臭いイメージがついてまわるような気もするのですが、この七味オイルへの皆さんの反応をみていて、和洋折衷の積極的な意義をつくづく私は感じています。妥協ではなく、お互いが自分の価値をより高めながら距離を縮めあうその姿勢自身が潔く寛容であり、相手方の文化への敬意が表現されます。異なるものを全く入れないことで純粋性を保つ価値観もありますが、あえて違ったものと衝突しながら新たなものを目指す姿勢には、緊張感とスガスガしさが感じられます。この点に七味オイルの新鮮さが凝縮されています。
→関連ブログとして以下
http://milano.metrocs.jp/archives/2093
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